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America! 2 ■2004/11/20 ボストン、そしてエクスター ボストンの宿は前の文章の通りでユースを使った。世界各国の人がそこに集まり寝泊まりし方々に散っていく。自分が泊った部屋も2段ベットが3つで計6人が相部屋という仕組みであった。当然いろいろな奴と顔合わせになる。その夜はいびきのものすごい奴がいて全く安眠できたものではなかった。もっとも時差が直っていなかったという事もあるが。その一方である男は自分のベッドサイドの照明機具が壊れているのを見て直してくれたりした。フランスから来た奴、ドイツ、カリフォルニア。全くいろいろな国や地方から人が集まっているというものだ。一番安く寝泊まりできて、なおかつスリリング(?)という私おすすめの方法だ。ちなみに男女は完全に分かれている。 ボストンのユースは朝ごはんが付いていた。コーヒーにベーグルにドーナツ。どれも好きなだけ取ってもいいというものだったがアメリカの安ホテルにはよくある事らしい。ベーグルはビニル袋に詰めてあって硬めでどうかと思ったが、ドーナツの方はなかなかおいしくて人気がありあっと言う間になくなっていた。コーヒーはうすめで当然のごとくアメリカン。そんな朝食を取りながらその日行く予定の場所と交通機関をチェックする。今日は始めてルイス・カーンが設計した建築を見に行く。 宿を出てバークレー音楽院を通り過ぎて地下鉄駅に向かう。駅はポストモダンっていうか何だか不思議な感じの建物。誰か有名な人が設計したのだろうか。マイケルグレイブスのような、ちょっと違うような。
地下鉄やバスは街によって仕組みが異なる。1回の片道乗車だとボストンではトークンと言われるコインを買ってそれを入口の検札機械に放り込む。それだけ。よって電車の中ではお金を払ったという事を証明する物を何も持っていない状態となる。不正乗車とかはないのだろうか?治安の良さを感じさせるものであるがその反面というか、地球の歩き方のボストンの地図を見ていたりすると”このあたりは歩かないように”などと書いてある場所があったりする。危険と安全がはっきりと分かれているというか、混じりあう事のない何かがアメリカには存在するのかもしれないと思った。 ノースステーションと言われる駅に向かう。今日はそこから電車でエクスターという所に向かいカーンの図書館を見て帰って来る予定だ。そちらの方面への電車はそんなに本数がある訳でなくいくらか待時間があった。駅周辺を歩いてみる事にする。たまたまその日は土曜日で近くで屋外市場が開いているという事がわかった。行ってみるとそこはアジアでも見かけるような感じで野菜や果物や魚が屋台の上にこれでもかという位積まれていた。人も沢山集まっていて活気がある。売る人買う人、楽しそうで目は真剣で。ここはヘイマーケットと言われる所で売り値は1ドルが基準だ。自分も最初は何も買う気がなかったのに歩き回っているうちにリンゴがほしくなり屋台の店主にもちかけた。4つで1ドル。赤いのか青いの、どちらか4つという事だったが両方とも味が気になったので2つ2つにしてほしかった。”Could bye it,two and two?”これで話が通じたのかどうか、店の親父は仕方ないなという表情で紙袋に2つずつのリンゴを入れてくれた。アメリカにもこういう市場感覚が残っているのだ。もっとも日本にだって朝市とか開かれている所もある訳だが。
電車の切符を買う。切符売り場で場所と時刻を告げると"ID?"と尋ねてきた。パスポートを見せろという事だがこれはよくある事だった。長距離バスに乗るにしてもお酒を買うにしてもIDの提示が必要だったりで少し面倒だった。おそらくテロ以降厳しくなってたのだろう。事なくチケットを入手して電車に乗り込む。地下鉄と違いここでは改札がなかった。 エクスターに着く。着いたはいいのだが問題はここからだ。その付近の詳しい地図がある訳でもなく図書館の詳しい場所を知っている訳でもなかった。駅に着けば何か案内でもあるんじゃないかと思っていたが、無人駅のそこには街の地図の一つも見当たらなかった。駅前には商店街が少しあるだけ。幸い近くに老夫婦がいたのだが思いきって聞いてみた。「図書館はどこにありますか?」するとてもうれしそうに道を教えてくれた。「この道をまっすぐだ。そのうちに右手に看板が見えてくる。ここから5分くらいだ。どこから来たんだ?」「Japan、ありがとう!」教えてくれているその様子はとても誇らしげにも見えた。ラッキーだった。教えてくれた通りに道沿いを歩く。偶然だが自分と同じ名前の通りに遭遇した。
しばらくしてそれらしき看板のようなものが見えてきた。学校のような大きな建物が近くにありそこで再び図書館の事を尋ねた。「それならこの下の所を通ってしばらく歩いて、道を渡ったらすぐだよ」と親切に教えてくれた。知らない人が道を教えてくれる、それは普通の事なのかもしれないけれどそれでもとても心に染み入るものだった。その通りに行くと赤レンガの、写真で見てた建物が出てきた。これがカーンか。
外観はなんていうか地味だった。5階建ての四角くて窓のある建物。この図書館のあたりは他の建物も周囲もレンガの建物ばかりで違和感なく馴染んでいるという感じだった。建物自体、というか外壁はとてもきれいだった。去年出来たと言われても不思議がない位だ。すでに竣工してから30年以上は経っているはずである。メンテナンスが良いのか、それともそういうスゴい建物なのか。先ず四周を廻ってから建物の中に入っていった。
入口付近からはわん曲した階段が2本付いていて、その先には大きな空間が見えた。光の方に導かれ自然と階段を上がる。手すりは大理石。たどり着いたそこは巨大な四角いホールとなっていた。壁の4面とも同じようにコンクリートの壁に○がくり抜かれている。それに続いて天井はコンクリートの梁で×が出来ていてこれがかなりの迫力を持っていた。非常に大胆である。外部の単調さには結びつかない分驚きが生まれる。迫力に満ちた構造の中で光は対照的に静かに丁寧に扱われていたように思う。外の光をそのまま取り入れるのではなく間接的に扱う事で空間全体が均一な光で満たされる。トップサイドライトからの光は一度コンクリートの梁に当たり全体に拡散している。”光がすべての存在を与える”とカーンは言ったそうだ。建築家であると同時に彼は詩人であったと思う。
照明機具、ダクト、机、窓、本棚。どこもち密でしっかり作られている。”図書館は孤独に学ぶところ”という言葉も残っているが詳細な部分に至っては彼の魂そのものが宿っているような、そんな感じさえした。
ふたたび外に出た。来た時と全く違う建物に見えた。外部もよく見ればとても繊細に出来ている。ぱっと見たところではわからなかったのだが柱の太さは下から上に向かって細くなっている。構造に忠実である事がすぐにわかった。その柱と梁の間は窓が鋳込まれている。枠は木製だ。外部に、水の当たる所に木を使うのは大胆かとも思ったがアメリカのこの辺の気候風土からすると普通の事なのかもしれない。他の建物でも木製の窓枠はよく見るものであった。ただクリアのウレタンコートだけを施したようなその塗装処理は不思議であった。普通であればクリアは日ざしに弱く外部には向かない。もしかするとFRPか何かを使っているのだろうか。 この図書館が出来たのはカーンの死後と聞く。彼は最後はどこかの公衆のトイレで倒れていたらしく数日間は身元不明のままだったという。死後にこういう物が出来たというのに彼の最後の頃は事務所は一体どうなっていたのだろう。あまり事務所に連絡も入れる事はなかったのだろうか。それにしても最後まで仕事のスケジュールもあったであろうし周囲の人物とのコンタクトはどうなっていたのだろう。よくはわからないが、おそらくたいていは一人で行動するタイプであったと思う。そしてやはり建築が好きな人だったのだろう。いい人に巡り会えたような気がした。 なごり惜しみながら図書館を離れる。大きな木にリスがひょこひょことよじ登る。子供が芝生の上で遊び回る。幸せな街エクスター。昼はとうに過ぎていたが駅の近くにあった食堂を思い出し、そこに向かう事にした。来た道を戻る。カーンもこの道を歩いたりしたんだろうか。それとも車で通っていたのか。 食堂ではわからないままにハンバーガーを注文した。わからないけどとてもおいしかった。それともカーンってすごい人だったんだなあと、味もわからずに食べていたのかもしれない。これからの旅が楽しく思えてきた。 ・・・ 再び電車に乗る。今頃時差がやってきたのか、眠くなる。電車はあっという間に着いたと思う。 たった1時間であったが外はすでに暗くなりかけていた。ボストンの緯度は高くこの時期夜がやってくるのは早い。4時くらいには暗くなってしまう。宿までの距離や時間も考え、早めではあったが駅近くのオイスターバーに入った。
店に入る。いらっしゃいませも何もなかった。店の中はほとんどがカウンター方式のようだ。どこもたいていは席が埋まっている。どうして良いのかわからないままに空いている席をさがす。奥の方にどうにか空いているところがあったので、そこを指さして空いてるかどうか聞いてみた。まわりの人も含めてどうぞどうぞといった感じでそこを案内された。後はその周囲の方やウェイターのお兄さんがいろいろ教えてくれた。オイスター?ビア?サミュエルアダムスがお勧めだ。どこから来たんだい、レッドソックスには昔ベーブルースがいたのさ、おいしい?日本語でお酒は”saki"って言うんだろ?ムール貝はどうだ・・・ わからないなりに自分も英語で応戦し、楽しく夜は深けた。図書館とはまるで違う空間なのだがとても落ち着ける場所だった。人の集まる場所、それは私の建築を作る上での重要なテーマだ。目の前に食べ物が豊富にある事、エンターテイメント、そして人々の笑顔。このバーは出来てから180年ぐらいになるのだと言う。昔から変わり無く人が集まり続けているのだろうか。大した事だ。そしてありがたい事だ。十分に楽しんで支払いをしチップを渡して外に出た。すでにかなり気温は下がっていたが元気を出して宿まで歩く事にした。食べ物から空間から人から、いろいろなパワーをもらったような気がしていた。 |