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America! 4 ■2004/11/22 マンチェスター空港から 夜中の3時。待てど暮らせど霧が晴れる徴候なし。それどころか発着状況の掲示板に妹夫婦が乗ったはずの飛行機の掲載が消されてしまった。一体どうなったんだ?しかしその時間にそういう事を教えてくれる係の人なんていなかった。飛行機会社の窓口も閉まっている。妹に電話をしても通じない。念のため実家に連絡を入れると一度は電話があったが後は連絡がないという事だった。こうなるとどうしようもない。待つしかないと諦めて再びダンキンに行ってコーヒーを頼む。さっきまでおそらく同じ飛行機を待っていただろう人たちもいつの間にか見当たらなくなっていた。 体も少しずつ疲れてきたのだが横になれるような場所はなかった。空港にはよくある事だが長椅子があったりしてもひじ掛けが付いていて横になって眠れるようにはなっていない。仕方なく椅子に深々と座り目を閉じた。おそらく大した事は起きていないはずだ。こういう時は自分を信じるしかない。目を閉じたところで周りは十分に明るかったしたまに通る人の事も気になったりで眠ったという状況ではなかった。何度か起きて同じように電話してみても展開はなかった。しばらくそんな状況が続いた。 朝5時頃になって少し展開があった。航空会社のカウンターが空いたのだ。どうやら出発待ちの人のためにカウンターを空けたらしい。係の人もやってきたので思いきって飛行機の事を尋ねてみた。「昨日到着予定の飛行機が遅れて、そして霧になって到着しなかったのだがどうなったんですか」私の発音が悪かったらしく何度も聞き返していたがそのうちにどうにか通じて調べてくれた。聞いてみるとどうやらその飛行機はキャンセルになったらしい。キャンセル?どこでと聞くとワシントン空港だと言う。しかしそれ以上の事は自分ではどうしようもなかったらしく何も教えてくれなかった。なんだかアメリカ的だなあと思った。日本だったらこうなる事はないだろうに、でも仕方がない。 ワシントン空港からここに来る可能性、というか路線を調べてみた。ちょっとした距離がある。電車かバスというのもあるがそれこそかなりの時間がかかる。やはり可能性が一番高いのは飛行機だろう。ちなみにマンチェスター空港に来るということはかなり確信できていた。待ち合わせがそこだという事もあるが彼等の車が預けられているのもこの空港だったからだ。ワシントンからマンチェスター間はかなり飛行機が飛んでいるらしい事もわかった。およそ1時間に1本は飛んでいる。おそらくはそのどれか、そして多分同じ飛行機会社の飛行機に乗ってやってくるのではないだろうか。到着時間をチェックし飛行機が見える場所へ移動した。夜中の間、あれだけ濃かった霧も日が登る頃には晴れていた。
想定していた飛行機がやってきた。朝の7時になっていた。到着を確認しロビーへ向かう。荷物を持って大勢の人がやってきた。彼等はベビーカーを持っているはずだし目立つはずだ。しかしいるはずだと思っていたその団体の中にも彼等を見つける事は出来なかった。荷物受け取りの所もチェックしたがやはり見当たらない。この飛行機には乗っていなかったのか。では次の便か。 8時にも飛行機がやってきたが乗っていなかった。飛行機が遠くから飛んで来るのを見て、彼等3人が乗っている事を考えて思いつめながら見ていたりしたのだが、それとは関係なしに彼等は乗っていなかった。9時の飛行機も10時の飛行機も同じ事だった。おかしい、しかし必ず来るはずだ、そういう想いだけでそこにいた。そうするうちに完全に疲れてしまい、先程の椅子の所でいつの間にか眠ってしまった。 しばらくして誰かが自分の肩に触れるのがわかった。何だと思って目をあけると妹の旦那がそこに立っていた。おお、一体どうしたんだ、というかその時点で椅子で寝ていた事に気が着いた。先ずは握手だった。おお〜元気かあ!そして笑いあった。しばらくして妹と娘のエマも現われた。無事に彼等は着いたのだ。良かった〜。時間を確認してみると昼の12時だった。実に空港で18時間待っていた訳だ。 荷物を手伝ってやり駐車場の方へ向かう。妹にいろいろ尋ねた。「どうしてた?」ワシントン空港で降ろされててからやはりキャンセルになったのだと言う。先ずは娘の事が心配で一旦ホテルを取って休んでいたんだそうだ。飛行機のチケットはどうにか取れたようでそれで先程の便に乗って来たのだという。「エマは大丈夫だったのか」うん、あまり泣く事もなかったので助かったけれど、でも大変だった。それはそうだろうな、飛行機に閉じ込められた時間も長かった訳だし。何故電話が通じなかったのかはよくわからなかったが、今となればどうでも良かった。車に荷物を詰め込んみ、そして彼等の家に向かった。 運転は旦那のジョンがしてくれた。疲れていないか心配だったがしっかりとした手付きだった。最初は高速道路に乗り込みしばらくして細い道に入っていった。周囲は高さが20mはありそうな林に囲まれている。しかしそんな林の中にも住居の気配があって、およそ200m程の間隔で点在しているのがわかる。日本ではあまり見なれない感覚だがどうやらこの辺は住宅街(?)とも呼べる所らしかった。隣棟間隔が広い訳だが、その辺では普通の事らしかった。しばらくするとようやく彼等の家についた。白と赤の、少しペンキが剥げかけていたけど下見板貼の使い込まれた感じの家だった。
一番古い部分は築250年程で、その後増築を重ねてここまで来ているという。100年200年というものでもその辺ではこれも普通の事だと言う。ヨーロッパのように石やレンガを中心としている訳でもなく、日本でもお馴染みの木造であるのに、この耐久性はどこから来るのだろう。ひとつひとつの部屋もかなり大きい。古い部分の床は厚い板で出来ていてその巾もまちまちである。実(さね)加工が施されている訳でもなく、脳天釘打ちでオイルが塗ってあるだけのような、それだけの床。ところどころでギーギー音が出たりする。しかしそれらは欠点には見えず、それよりもこれからもなお生き続ける力強さを感じさせるものだった。
そうした古い部分があったりしても暖房設備はしっかりしているようで、ボイラーにより暖められた空気が床下を巡回しているという事だった。それだけでなく暖炉も備え付けてあり見た目にも暖を感じさせる工夫がなされている。 いろいろ部屋をあちこち見ているうちに妹が昼ご飯を作ってくれていた。ありがたい。空港でどうやって待っていただとか、日本を出てきてから今日までどうしていただとか、これからどこをどう行くかだとか、日本の家族は今どうしているかだとか、最近のニュースは何かとか。持ってきたお土産を渡しながら僕もいろいろ喋っていた。「時差はないの」と聞かれたがどうなんだろう?空港で待っていた状態は時差があったというものなんだろうか。いや、そんな事よりも見たコトのない建物を見るとそれだけで元気になってしまうという特異体質(?)を持っているので、その時は眠いとか疲れたという感覚が全くなかった。 家をちょっと出てみた。裏に庭がありそこを散歩した。周囲は木立に囲まれているのだが、それらはすでにすっかり葉を落としている。そしてその間から射してくる西日がとても美しい。落ち葉を踏み締めながらしゃんしゃんと歩く。どこまでも歩いていけそうな感じだった。どこまでも歩いていった。 |