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2006.09.18 TAA/blog

徳山村

 

 「私の住んでた所、もうすぐダムの底に沈んじゃうんです」どこからか出身地の話になっていて、その人は寂しげにそんな話をしてくれた。

 郡上に盆踊りに行ったその日の夜だった。夕食時、同行していた人の中の一人が岐阜県の徳山村の出身という事を言っていた。はずかしながらその時までに徳山村やダムの事を聞いた事はあったというものの、それは自分を素通りしている状態でどういうものであるかという事は全くといっていいほど知らなかった。聴いてみればそれはもうすぐ出来る貯水量にして日本一、その量たるや浜名湖の2倍もあるというダムなんだそうである。しかしながらその完成に至って川沿いにあった村は移動を余儀無くされ、およそ1500の人々が自分達の村を後にしたと言っていた。

 想像を絶する思いが伝わってきた。自分の街が死ぬのである。その人にとっては殺されるといっても過言ではないかもしれない。たとえ自分でそう言わないにしても。相手は困惑とも悲しみとも忍耐とも慈悲とも寛容とも取れる表情をしていて、それに対して何と言っていのかわからなくて、自分には話を聞いてあげるぐらいの事しかできなかった。そして沈む前に見に行こうと、自分の心の中で決めていた。

 まず地図で徳山村を探してみた。探したのだけど徳山村という表記はすでに地図の上には見つからなかった。すでに消されてしまっているのだ。グーグルマップでも見つかるのは石川県の徳山村で岐阜では出て来ない。ちょっと恐い気がした。ダムや村の関係の事をネットで探してどうにか場所がわかってきて、国道417号をずっと遡った所にその村が存在する事がわかった。写真もいろいろ出て来た。湖底に沈むというその非現実性からか、関係する事は個人のサイトでもいろいろアップされているし、もちろん徳山ダムのサイトもあった。概要もわかってきたのだが、どうやら今年の9月25日より本格的な使用が始まるらしい。ということはもうあまり時間がない。スケジュールを整えて急きょ行動の予定を立てた。9月17日、日曜日。友人を募って3人でそのダムを見に行くことにした。

 当日早朝に家を出る。ダムまではおそらく3時間程度で着くぐらいの道のりだったが、現地でダムを案内する無料バスが出ている事がわかりその時間にあわせて出発した。名古屋から高速に乗り大垣で降りて、後は下道を北に向けて進んで行く。途中より揖斐川と合流し、それからは川沿いに進むだけである。進むにつれて周囲は山に囲まれていって言うなれば気持ちの良いドライビングコースになっていった。国道という事もあるのだろうけど道はしっかりと整備されている。そんな道をしばらく進んでいると目的地に一つ手前の横山ダムが見えてきた。もう近い所のはずだ。連休中だし目玉のスポットにもなっているので道が込み合うかとも思っていたのだが、そういう事はなくてすいすいと車は進んで行った。

 幾つかトンネルを抜けてぐねぐねした道を走った。突然に徳山ダムは現われた。写真で見てはいたのだがそれは巨大で、形容し難い形をしていた。外観のほとんどの部分は石で出来ており、まさしく山間がせき止められたようになっているのだが離れているせいか遠近感や距離感そして平衡感覚がつかめない。そして周囲になじんだ感覚もなかった。違和感とまでは言わない、ただしかし圧倒的な存在感だけがあった。

 道もそこまでで終わりかと思っていたのだが、予想に反して国道417号は続いていた。ダムの向こう側、つまりは水に沈む村のあたりまで行けるらしい。当然ながら車をそのまま滑らせた。

 間もなく水に沈むはずなのに、湖底となる側に至っても工事というものは終わってないらしく何台かのダンプとすれ違う。さすがにここまで来ると道はある程度ほっておかれているようで、周囲は砂埃の舞う一帯であった。にわかに信じられないものなのだが、ダムの位置や周囲の状況からすると自分達がいる位置というのは水に沈む所なのである。駐車出来る所を見つけて車から降りてみた。きれいな川が流れ、木々は生茂り、草も花を咲かせていて蝶は羽を広げて休んでいた。わからない風景だった。彼らは自分達が死んでしまうという事をわかっていないのだろうか。自然というのは危機を察知して何か行動するものかとどこかで思っていたのだけど、彼らにはそんな事は全くなかった。昨日の次に今日があってその次に明日があって四季があって一年があって・・・。でもさ、彼らには来年がないんだよ。もしも今の目の前の風景が枯れ木で覆われ屍で埋め尽くされていたら納得の出来るものだったかもしれない、でも現実は違ってた。みんな、生きてる。何も知らずに生きてる。

 それまで全く泳ぐ事ができなかったのに、川に潜って泳げるようになったと郡上で会ったその人は言っていた。気が狂って自殺した人も出たと言っていた。僕はここで生まれ育った訳でもないのだけど、ここにいた人たちの気持ちが少しだけわかるような気がした。たぶん、言葉を超えているんだと思う。

 家とかの人工的なものはほとんど取り壊されたらしいのだけど、それでも少しは残されているものもあった。特にコンクリートで出来た小学校はそのままの形で残されていて、どうやらそのまま水に沈むらしい。道が悪くて近くまで行く事ができなかったけれど、なんだか象徴的な建物だった。いつか、水が抜ける事があったらこの建物はそのまま再び姿を現すのだろうか。徳山村を示す看板もそのままあった。「美しい自然があなたを歓迎しています」と書かれている。もはやブラックユーモアにしかなってない。

 なんだかな、何ごともなければとても気分のいいとこなのに。どうしてこういう事になっちゃうのかな。ダムが不必要だなんて事は僕はここでは言えない。人は、生きていくためには必要な手段というものがあると思う。身近な事で言えば食べる事だって自分以外の他の命をいただいているのである。そういう事なしにして人は生きていく事は出来ない。しかしそれもどこまで許されるものなんだろう。このダムは治水のためにも発電のためにも利水のためにも使われるという多目的ダムであるらしい。しかしさ、浜名湖の2倍もの水が名古屋近辺に今さら必要なのだろうか。発電は、風力とか太陽とか、あるいは省エネに徹するとか他の方法が考えられなかったのかな。治水は重要だけど、緊急時にだけ稼動するとか、できるだけ自然に手をつけない方法というのは僕だって考えてみたい。どこで誰がこんな事を考えて、そして決定に至ったのだろうか。人間って、そんなに堅いものなんだろうか。急ぐ必要があったのだろうか。

 道を少し戻ると展望台らしき建物が出来ている所があった。まだ開館してる様子はない。周囲は公園化されてもいて、そのダム湖を模した庭らしきものが出来ていた。国の事業をたたえるためにこういう事をするのかな。余計な事のように感じた。

 さらに戻って無料バスの集合場まで行った。ダムを紹介するためのパビリオンも出来ていて見学する。きれいごとで全てが終わるような、そんな気にさせるパビリオンだった。バスが出るまでは時間があったのでその辺で昼食にした。食べながら見て来た風景を思い出す。きれいな所だったけど、そこでご飯を食べる気にならなかったのは確かだ。

 しばらくしてバスに乗る事になった。現場はやはり厳密に現場であるようでヘルメットを渡される。食後という事もあるけれどバスが動き出した途端に疲れがどっと出て眠ってしまった。ところどころ乗務員の方がアナウンスして下さるので聞いて見たくもなるのだけど眠気はさらに勝っていた。しかしそんな時間も長くはなくて、知らない間に目的地となるダムの建設現場に来ていた。

 そこはダムの裏側だった。ついさっきも自分達はやはり湖底となる裏側に行っていた訳だが、そこよりもさらにダムに近付いた地点であり、立ち入りが禁止されている場所だった。あらためて間近にダムを見た訳だがやはり大きい。横巾は400mもあるのだと言う。高さは161m。ほとんどは石で出来ていて、ところどころにコンクリの建造物が見える。ダムの近辺の水の下となる部分は樹木が伐採されていて、山の有り様はなんだかテクノカット(古っ)状態である。しかしそれもあくまでも近辺のみだったので、どうしてそのような状態なのかと係員の人に質してみた。するとダムというのは流木などがあると機能に支障が出るのだそうである。では離れた部分はどうするのかというと、これは網を使って樹木等が流れないようにするのだそうだ。聞いて思った、やはり全てはそのまま水底に沈められるのだ。

 一通りの説明が終わってふたたびバスに乗り込む。案内の係の人たちは皆親切な方ばかりだった。いっしょうけんめい仕事をしている。思いがどうかという事は別の事だ。きっと今までにいろいろな事があったんだろうなあと想像した。ダムで働く人たちに罪はないと思う。ただそういう事と別にして、ここにはこれから大量の死がこれから存在する事になる。それを考えてふと現代美術家の宮島達男さんの作品「メガデス」を思い出した。デジタルのダイオードでできた幾つもの数字がカウントダウンして消滅するというそれだ。ここでのドライな現実の存在と鎮魂の意味まで含めて語るのにこれ以上の作品というのもないと思うのだが。勝手と言えば勝手なのだが、こういう口で表現できない事について現代美術は活躍してほしいものだと思っている。

 帰り道。それまでなんとか保っていた天気も雨となった。このままダムは完成に至るのだろうか。完成してもしなくてももう一度ここに来たいと思っている。完成しなかったとしたら普通にキャンプなどして遊びに来てみたいと思うのだが、やはり叶わない事なのだろうか。

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