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厳島神社に行った後、広島のピースセンターに向かった。 初めて行った訳ではないのだけど、前回いつだったかといえば、15年程前の事。やはり夏だった。バイクで南に向かうツーリングの最中。川がたくさんある、ということとピースセンターの、それ自体がモニュメントのような少し恐いような形が印象に残っていた。 広島の駅に着く。ピースセンターへはどうしたらいいかと駅員の人に聞いたら、市電で原爆ドームまでと教えてくれた。 市電の中から街を眺める。見たことがあるはずなんだけどもう、ほとんど知らない街。車窓からの風景はどれもが新鮮だった。レールが古いのだろうか、市電は時折、ガタっと揺れる。なぜかその動きに親しみを覚えた。 原爆ドームに着く。外国の方がたくさんいた。皆、気ままにシャッターを押しているように見える。鎮魂の場というより今や観光地の一部であることが笑顔の様子からよくわかる。 川を渡る。広い川だった。護岸はしっかりとかためられているけれど、流れる水は滔々として美しい。来る水、行く水。原爆のその日は多くの人が ピースセンターが見えてきた。その手前に原爆の炎とアーチ型のモニュメント。そこには”もうあやまちはおこしませんから”と書いてある。酷い文だと思う。日本特有のあいまいさなのか、それともアメリカから御指導があったのだろうか。我々日本人は今だ自分自身を直視するということが出来ていないのかもしれない。 ピースセンターへ。無言の固まりみたいなようでやはりその姿は威圧感がある。しかしそれとはうらはらにコンクリートはしっかりと繊細に打込まれている。杉の形枠は、その1枚1枚が丁寧に作られていったことがよくわかる。建物本体が持ち上げられた形であり、ピロティの様子からしてコルビジェのユニテを思わせるところだが、質感においてその2つは全く違うものであると言える。粗野と繊細。迫力と精神。国際性と地域性。しっかり見極めていけばこれだけで論文が書けそうな気がする。 ピースセンターの入り口は正面左側の建物へ移動していた。おそらくバリアフリー化を考えてのことだろう。展示内容も増えていたのだが、どこかソフトであるように思う。この広島の原爆だけでおよそ21万人の方がその犠牲になられたと聞く。新しい展示部分にコンピューターで人の名前と顔写真が出てくるシステムがあった。鎮魂を込めるのであればデータにするだけでなく、それだけの犠牲者の事が一堂に見て触れてわかるような方法も取るべきだと思う。 なんだか、不満ばかりになってしまった。暑さのせいなんだろうか。太陽が悪いのか。 帰り道。再び川のほとりへ。よごれるから水にさわっちゃいけません、とどこかの親が話している。そんな事言っちゃいけない、と思ったけれど、それが現在というものなのだろう。意味もなく、ただ水面を見ていた。上流からはペットボトルが流れてきた。 03.08.25 メルマガ建築所感より抜粋 |